産業医が謎を診る? 『産業医・渋谷雅治の事件カルテ シークレットノート』
- 2021/5/26
- 産業医
2021年春、角川文庫から、産業医が主役のミステリー小説『産業医・渋谷雅治の事件カルテ シークレットノート』が発売されました。
産業医と聞いて業務内容がパッと頭に思い浮かぶのは、企業の労務人事担当者くらいで、「産業医って何?」と思っている方がまだまだ圧倒的に多いように感じます。
今回は、『産業医・渋谷雅治の事件カルテ シークレットノート』の見どころを産業医の職務に絡めてわかりやすく解説します。
あらすじ
主人公である産業医の渋谷雅治は大手企業に常駐する専属産業医。
自殺した社員の動機と原因を調査していくうちに、管理システム上の勤怠と、実際に彼を知る部下からのヒアリング内容に、違和感を持ち始める。
なぜ彼は自殺したのか。自殺の原因は会社なのか、それとも人間関係にあったのか。
上層部の思惑。翻弄される社員たち。
史上初の産業医探偵・渋谷雅治によって、一人の社員の死の影に隠されていた真実がいま、暴かれる。
ドラマ化の期待大?産業医ミステリー
著者の梶永正史さんは2013年に「このミステリーがすごい!」大賞を受賞し、『特命指揮官 郷間彩香』と『白鷹雨音の捜査ファイル』がドラマ化されています。
梶永さんの作品で特筆すべきは、その親しみやすくて魅力的なキャラクターと、屋台骨となるミステリーのバランスでしょう。
ドラマ『特命指揮官 郷間彩香』で、キャリアにもかかわらず現場でのコミュニケーションを大切にする美形の熱血女性刑事・郷間彩香を演じたのは松下奈緒さん。
高嶋政伸さん演じるSIT隊長との掛け合いも必見です。
梶永さんが過去のインタビューで「実在する俳優さんを当てはめて執筆する」と語っていたとおり、『産業医・渋谷雅治の事件カルテ シークレットノート』も読み進めるうちに映像が脳内にどんどん広がっていきます。
産業医探偵の窮地を救うのは、ウィンクを飛ばしてくるおちゃめな役員専属運転手。
お客さま問い合わせセンターにいるベテラン姉さんは産業医探偵を格好良すぎるサムズアップで送り出します。
あぁ、このキャラクターはきっとあの女優さん俳優さんを想像して書かれたのだろうなとキャスティングを想像するのも楽しかったです。
個人的に好きなのは、とある重要な証言を行った後で、しどろもどろの言い訳をする営業さんです。
「いや、だからちょっと酔っていて、それでみんなが盛り上がるものだから……その、行ってくるであります!っていう感じで……。つまり、探偵ごっこというか……」
世の中の男は漏れなく馬鹿だ、というような目の友紀に西村はすっかり委縮してしまっていた。
いつまでも少年の心を忘れない、やんちゃな30代男子が思い浮かびますね。
暗くなりがちな重いテーマの中にもかかわらず、笑いがこぼれてしまいます。
そんなキャラクター陣に和まされ、心奪われること必至です。
産業医探偵は史上初?
筆者はミステリ―小説を好んでよく読むのですが、産業医が主役をはる、ここまで重厚な企業ミステリーは日本文学でもかなり稀有な存在だと思います。
まず、現代のミステリーにおいてシャーロック・ホームズのように超がつく名探偵が登場することはほぼ皆無。
いま主流なのは専門職を本業に持ち、自分の分野に絡めて謎を解く「職業ミステリー」です。
しかも本作は、謎解きに重きをおいてしまい本職がおろそかになる、なんちゃって職業ミステリーでは断じてありません。
通常の職務を果たしたうえで、産業医ならではの調査を行っているのです。
著者の梶永さんが過去に企業で働いていた経験がディティールの精度を高め、社内の空気感や他部署とのコミュニケーション、先輩従業員の適切なアドバイスなどに活かされ、物語への没入感を何層も深める助けになっているのでしょう。
ミステリー小説において産業医はいま最もオススメのキーパーソン!
もっと産業医が主役のミステリー小説が読みたい!というパッションの元、産業医という職業のポテンシャルをお伝えします。
産業医をミステリー小説の主役においた時、作者には無限の選択肢が与えられるといっても過言ではありません。
というのも、産業医は企業において重用されることが多いポジションで、一般社員から取締役や社長クラスまで幅広く接する機会があるのが特徴です。
現実世界でも、健康経営に力を入れている企業では、社内の発言力が高い人が産業医の後ろ盾になることもある、なんて話もよく耳にします。
さらに産業医は社内においてあくまで独立した存在、公平な立場。
そして通常、人の口に戸は立てられず、噂話は社内をめぐりますが、産業医の場合、守秘義務があるため個人情報の漏えいは起こりません。
社内ミステリーでよく見かける派閥とは関係ない存在なんて希少ですよね。
実際、企業の方に伺うと、専門職としての産業医の見解を聞く機会を貴重に思ってくださっている担当役員さんはとても多い印象です。
また、産業医と厚い信頼関係を構築し、メンタル不調などでなくとも定期的に面談を求める社員の方もいるとか。
産業医の働き方
産業医には2種類の働き方があります。
① 嘱託産業医:複数の企業と契約し、産業医活動を行う
② 専属産業医:一つの企業に所属し、健康経営の運営やその計画に深く携わる
「嘱託産業医」か「専属産業医」かは、事業場の規模によって異なります。
・ 在籍従業員50名以上:嘱託産業医の専任義務
・ 在籍従業員1,000名以上:専属産業医の専任義務
知っておいてほしいのは、それぞれの立場による産業医と企業との関わり方です。
「嘱託産業医」の多くは月に1回、1時間〜数時間の訪問を行い、衛生委員会の出席、職場巡視、健康診断結果のチェックやストレスチェックの実施について企業担当からの確認などを行います。
「専属産業医」は企業に常駐し、嘱託産業医の行う業務+社員の相談対応や健康経営年間計画の策定にも深く携わります。
それぞれのポジションでさまざまなミステリーの構図が浮かんできますよね。
作中で登場した産業保健業務
以下では『産業医・渋谷雅治の事件カルテ シークレットノート』で実際に行っていた産業医業務を紹介します。
産業医面談
作中では「部下の能力の引き出し方」に悩む管理職向けに、産業医面談を行っていました。
ラインケアという名称でセミナーに参加された総務労務ご担当者もいるかもしれません。
そして、この類はご相談率の高い悩みのように感じます。
部下との接し方に悩んで、ご自身がメンタル不調になってしまうパターンも耳にします。
衛生委員会
衛生委員会は、月に労働者の健康障害の防止や健康の保持増進に関する取り組みなどの重要事項について、労使一体となって調査審議を行う場で、産業医も参加します。
具体的には、残業時間のチェックや労災の確認、職場巡視の際に改善項目がある場合は、その後の確認をします。
また、産業医による講和やストレスチェック・健康診断・予防接種に関する話し合いも行われます。
健康診断後の就業判定
健診結果に基づく就業判定は労働安全衛生法66条の5に定められています。
労働安全衛生法
(健康診断実施後の措置)
第66条の5 事業者は、前条の規定による医師又は歯科医師の意見を勘案し、その必要があると認めるときは、当該労働者の実情を考慮して、就業場所の変更、作業の転換、労働時間の短縮、深夜業の回数の減少等の措置を講ずるほか、作業環境測定の実施、施設又は設備の設置又は整備、当該医師又は歯科医師の意見の衛生委員会若しくは安全衛生委員会又は労働時間等設定改善委員会(労働時間等の設定の改善に関する特別措置法(平成4年法律第90号)第7条に規定する労働時間等設定改善委員会をいう。以下同じ。)への報告その他の適切な措置を講じなければならない。
企業には健康診断実施義務のほかにも、健康診断の結果に基づき、労働者の健康と安全への配慮が求められています。
また、健康診断実施後は必ず、産業医(医師)に就業判定をしてもらう必要があります。
ストレスチェック
従業員数50名以上の事業場で義務付けられているストレスチェックでは、産業医が「実施者」となることが大半です。
今回、『産業医・渋谷雅治の事件カルテ シークレットノート』で行われた、産業医による事実調査委員会の発足は、イレギュラー中のイレギュラー業務だといえます。
社内でもし自殺があった場合、産業医に依頼される業務として多いのは、面談をはじめとしたメンタルケアでしょう。
<参考>
衛生委員会ハンドブック「社内で取り組む自殺対策」
『産業医・渋谷雅治の事件カルテ シークレットノート』が産業医を詳しく知る機会につながればと思います。