経営理念の浸透が生産性を左右する――日本生産性本部「人的資本経営調査」から見えた従業員の本音

人的資本経営という言葉が、ビジネスシーンで定着しつつあります。
2023年3月期決算より、上場企業などを対象に有価証券報告書への人的資本情報の開示が義務化され、企業は自社の人材戦略を社内外に示すことが求められるようになりました。
しかし、経営層が発信する「人材重視」のメッセージは、現場の従業員にどこまで届いているのでしょうか。
今回は、公益財団法人日本生産性本部が2026年2月に公表した「上場企業の人的資本経営の浸透・従業員認知に関する調査」の調査結果をもとに、人的資本経営の現状と課題について考えてみます。

1. 経営理念を「説明できる」従業員は4割にとどまる

調査では、上場企業に勤務する25~64歳の従業員1,097名を対象に、自社の経営理念の浸透度を3つの視点から質問しました。
その結果、「経営理念・行動指針の内容を理解している」と回答した従業員は54.3%と半数を超えた一方で、「新入社員に説明できる」は40.2%、「社外の人に説明できる」は39.5%と、いずれも4割前後にとどまりました。

この結果が示唆するのは、「知っている」と「説明できる」の間には大きな隔たりがあるということです。
経営理念を頭では理解していても、それを自分の言葉で語れるほど腹落ちしている従業員は意外に少ないといえるでしょう。

さらに、年齢別では、55~64歳で経営理念の浸透度が相対的に高く、業種別では電気・ガス業や建設業で高い一方、運輸業では低いという傾向が見られました。
長年勤務してきたベテラン層ほど理念が浸透している点は納得できますが、若手・中堅層への浸透が十分でないことは、組織の持続性を考える上で気になるポイントです。

2. 人的資本経営施策への評価は「割れている」

調査では、企業が講じる人的資本経営施策を「マス対応」と「個別対応」の2つに分けて認知度を測定しました。
「マス対応」とは、経営トップのメッセージ発信や人材戦略と経営戦略の連動、人的資本情報の開示など、全従業員に向けた施策を指します。
これに対する肯定的回答は概ね4割前後でしたが、注目すべきは「中立」が3~4割、「否定的回答」も2割強を占め、評価が大きく割れたことです。

一方、「個別対応」とは、能力開発機会の提供や上司による支援など、従業員一人ひとりに対する施策です。
こちらは施策の種類によって肯定的回答の割合が3割台半ば~5割強まで幅があり、受け止め方に差が見られました。
特に「上司に相談できる」という項目では肯定的回答が5割を超えた一方、「研修やキャリア開発に満足している」は3割台半ばにとどまりました。

興味深いのは、年齢別の傾向です。
マス対応・個別対応ともに、45~54歳まで年齢とともに認知度が下がり、55~64歳で再び上昇しています。
この「中年の谷」とも呼べる現象は、働き盛りの世代が日々の業務に追われ、会社の人事施策に目を向ける余裕がないことを意味しているのかもしれません。

3. 経営理念の浸透が働きがいと生産性を高める

今回の調査で最も注目すべき結果は、「経営理念の浸透」と「ワークエンゲージメント」「心理的安全性」「生産性」との間に明確な相関が見られたことです。
具体的には、経営理念の浸透に対する肯定的回答者は否定的回答者に比べ、ワークエンゲージメントが約1.5倍(肯定的回答4.58、否定的回答3.00)と大きく上回りました。
心理的安全性や生産性においても同様の傾向が確認されています。
この結果は、経営理念が単なる「お題目」ではなく、従業員の日々の働き方や意識に実質的な影響を与えていることを示しています。
「自分の仕事が会社の理念とどうつながっているのか」「会社は何を目指しているのか」を理解している従業員ほど、仕事に対する熱意が高く、職場で安心して意見を言え、結果として生産性も高くなるのです。
逆に言えば、経営理念が浸透していない組織では、従業員は「何のために働いているのか」が見えにくくなり、エンゲージメントの低下を招く可能性があります。
人的資本経営を進める上で、理念の浸透がいかに重要かが、データで裏付けられた形です。


今回の調査結果から見えてきたのは、人的資本経営の浸透には「経営理念を従業員が自分事として捉えられるか」が鍵を握っているということです。
多くの企業が人的資本情報を開示し、研修プログラムを整備し、経営トップがメッセージを発信しています。しかし、それらが従業員に「届いている」かどうかは別問題です。
調査では、人的資本経営施策への評価が割れており、受け止め方には個人差があることが明らかになりました。
ここで重要なのは、経営層と現場の「言葉」をつなぐ存在です。経営理念を新入社員や社外の人に説明できる従業員が4割にとどまるという結果は、理念が「自分の言葉」になっていないことを示しています。
管理職や人事担当者が、経営の言葉を現場の言葉に翻訳し、一人ひとりの仕事と理念のつながりを可視化していく――そんな地道な取り組みが、これからの人的資本経営には欠かせません。
また、45~54歳の認知度が低いという結果は、この世代へのアプローチを見直す必要性を示唆しています。組織の中核を担う世代が取り残されることなく、すべての年齢層で理念が共有される組織づくりが求められます。

<参考>
公益財団法人日本生産性本部「上場企業の人的資本経営の浸透・従業員認知に関する調査(速報版)」

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

蜂谷未亜株式会社ドクタートラスト 編集長

投稿者プロフィール

出版社勤務を経てドクタートラストに入社。産業保健や健康経営などに関する最新動向をいち早く、そしてわかりやすく取り上げてまいります。
【ドクタートラストへの取材、記事協力依頼、リリース送付などはこちらからお願いします】

この著者の最新の記事

関連記事

解説動画つき記事

  1. 【動画あり】改正育児・介護休業法の概要と背景を専門家が解説!

一目置かれる健康知識

ページ上部へ戻る