「こういう性格だから仕方ない」
「自分が分からない」
「人は変わらない」
このように心理のいろんな場面で持ち出される「性格」。
そもそも性格ってなんでしょうか?
三つ子の魂は百まで、のように性格は変わらないものなんでしょうか?
今回はこの「性格」について考えていきたいと思います。
変わらない「性格」・変わる「性格」
日常で私たちが使っている「性格」を「キャラクター」と「パーソナリティ」に分けて捉えてみたいと思います。
キャラクターは、ギリシャ語の「掘って刻まれたもの」という意味があります。
そこからも想像できるように、先天的な生まれ持ったもので幼少期のころからみられる反応や行動を指します。
一方パーソナリティは、ラテン語である「ペルソナ」という意味が含まれています。
ペルソナとは、古代ローマ劇において、役者が他者を演じる際に用いた仮面のことです。
つまりパーソナリティとは、生活や社会の中で役割を演じ分けた「社会的性格」と捉えることもできます。
特に、職業における役割における性格はイメージしやすいのではないでしょうか。
医者らしさや教師らしさ、というと誰しもが思い当たる人がいると思います。
その人らしさであるパーソナリティを作る過程で「職業」というのは大きな要因でしょう。
またパーソナリティは、仮面(ペルソナ)のように取り外し可能なものであり、変容的であると言えます。
私たちは社会生活を送る中で、仮面を付け替えて、その役割を演じているのです。
「仮面」であったり「演じる」であったりという言葉から、なんだかネガティブな印象を持ってしまうかもしれませんが、そもそも人は他者や社会と接する時に、求められているであろう役割を演じようとする生き物であるとされています。
つまりペルソナをもつこと自体は自然なことであり、それは嘘偽りの姿ということではなく、社会適応した自分の性格と言えるのです。
「キャラクター」と「パーソナリティ」をどのように捉え扱うか
変わりにくいキャラクターの部分については、無理に変えていこうとするより、自身の固定的な部分を知り、それを活かす、それに生じるパターンに対応していくということがメンタルヘルスの観点からは望まれます。
また、パーソナリティにおいては大切なことが2点あります。
・ 自身のキャラクターにあった仮面をつけること
・ 舞台からおりて、仮面をはずすタイミングがあること
自身の先天的なキャラクターとあまりに乖離するペルソナをつけていることや、常にペルソナをつけ続けているとなると、「自己」というものが分からなくなり葛藤を抱えるとされているのです。
「性格」という一言で自己理解への思考を止めてしまうのではなく、今一度「キャラクター」と「パーソナリティ」の観点から自分を知っていくのもいいかもしれませんね。
自分らしさはどこからくる?
ここまで、性格を「キャラクター」と「パーソナリティ」を含む広義な意味で捉えて見てきました。
自分らしさというものは、持って生まれたものだけで決まるのではなく、社会的関与の中で形成されていくものであると感じられるのではないでしょうか?
つまり、自己(自分らしさ)というのは、自身の心の中に存在するという自己完結的なものではなく、社会的繋がり・役割の中で発展・形成されていくということです。
そう考えると、働くということが、いかに自己形成に大きな意味を持つか……いろいろと感じるところが出てきますね。
さて、あなたが認識している「自分の性格」とはどんなものでしょうか?