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人はなぜ、過労死するまで働くのか?
- 2019/2/2
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過労死という悲劇を耳にした時、「なぜ?」と思わない人はいないでしょう。
その人は、なぜ死ぬまで働いたのだろう?
その人は、なぜ辞めなかったのだろう?
そんな疑問が湧いてくることを私も禁じ得ません。
こうした問いに対して、今回は「文化」という視点から考えてみます。
特殊な「文化」のなかに埋没し、現実が見えなくなるという話です。
「死ぬほど働け」という経営者ほど責任感が希薄
ひとつは、「企業文化」です。
「文化」といっても決して美しい代物ではなく、ここで言いたいのは、経営者が「24時間365日死ぬまで働け」とか「取り組んだら放すな、殺されても放すな」といったことを社内で平然と語り、役員から平社員にまで浸透させ、それが当たり前という空気を作り上げる、そういう意味での「企業文化」です。
そういう企業の社員が不幸にも過労死した場合、経営者は決まって「自己責任である」、すなわち「会社側に責任はない」と言います。
そういう会社だとあらかじめわかっていたら、誰も入社しないでしょう。
しかし、企業のネガティブな部分は、たいてい入ってみなければわかりません。
だから、もし入って、「なんか違うな…」と思ったら、思い切って辞めるべきです。
それが被害を最小限に食い止める最善の方法です。
とはいえ、まともではないとわかっても、なかなか辞められないのが現実かもしれません。
なぜ辞められないのか?
そこにもうひとつの「文化」が関わってきます。
それは、「日本文化」です。
「間柄」を生きる人は仕事を断れない
過労死を欧米人が理解できないのは、文化的特性が違うからだといわれます。
心理学者の榎本博明氏は、『心を強くするストレスマネジメント』(日本経済新聞出版社)という著書のなかで、欧米の文化を「自己中心の文化」、日本の文化を「間柄の文化」と名付けて対比させています。
日本は「間柄の文化」だからこそ過労死という問題が発生し、欧米人は「自己中心の文化」であるゆえにそれを理解できないのだと述べていますが、私も深く同意します。
簡単に言えば、「自己中心の文化」とは、自分が思うことを思う存分主張すればよいという文化、「間柄の文化」とは、常に相手の気持ちや立場に配慮しながら判断するという文化です。
「自己中心の文化」の人であれば、自分が過剰労働になりそうなときには、はっきりと仕事を拒否することができ、それにより身を守ることができます。
ところが、「間柄の文化」の人は、どんなにきつくとも、「自分だけがつらいわけじゃない」「自分が休んだらみんなに負担をかけるし」「取引先を待たせるわけにはいかない」などと考えてしまい、自ら仕事を断ることが難しいのです。
自分という「個」を生きるのではなく、他者との「間柄」を生きている。
そのために、周囲と摩擦が生じるような行動は取りにくい。
そうした日本の文化的特性が過労死を生む土壌となっていることは、まず間違いないといえるでしょう。
他者との間柄を重んじるという文化は、この国に脈々と受け継がれてきたものゆえ、この超克は不可能に近いものかもしれません。
過労死をなくすための法律
この文化的弱点を補うべく、「働き過ぎ」にストップをかける法律が施行されます。
2019年4月より、働き方改革推進法によって、残業時間の上限規制や、勤務間インターバル制度の促進、有給休暇取得の義務づけ等が始まります。
これにより他者の動向を伺うことなく、早く帰宅したり、いつもより遅く出社したり、休みを取ったりすることができるようになるはずです。
働く人々は、躊躇することなく、この権利を行使していきましょう。
これが根付いていけば、過労死は確実に減っていくでしょう。
一方で、企業に求められるのは本気の取り組みです。
それでもまだ働き方改革という流れに逆らって、働き過ぎにストップをかけられないような企業は、国民からの信頼を決定的に失うことになるでしょう。
そうならないためにも、企業の人事労務部門の方々は、早め早めの対策を心がけていくべきです。