幻聴に苦しんだ長嶋一茂
最近、パニック障害やうつ病の経験をメディアで公表する著名人が増えています。
同様の経験がある私からすれば、これは良い傾向だと思います。
誰もがなり得る病気にもかかわらず、社会で誰も話題にせず、「タブー」のように扱われてしまうようだと、この病気で苦しむ人は減ってゆかないでしょう。
最近カミングアウトした一人に、タレントの長嶋一茂さんがいます。
スーパースターを親にもち、子ども時代から多大なプレッシャーを感じていたようです。
そんな彼は、大人になってパニック障害を発症し、10年以上苦しんだ後、40代前半に不調のピークが訪れました。
母親や祖母が立て続けに他界したことをきっかけにして、ものすごい自殺衝動に襲われたそうです。
毎晩夜中に「お前が死ね、お前が死ね」という幻聴が聞こえてきて、気が付くと台所で包丁を握っている自分がいたといいます。
とても恐ろしい経験ですね。
幻聴に繰り返し罵倒された私
実は私も幻聴に苦しんだ時期があります。
20代の頃、寝る間を惜しみ3~4時間の睡眠で休みなく働いていたら、突然パニック障害に襲われました。
その直後から幻聴が聞こえるようになったのです。
始まりは、「おまえはもうダメだ」という声でした。
通勤電車で立っている時やエレベーターの中、一人で部屋にいる時に、頭の後ろのほうで誰かがささやくのです。
「おまえはもうダメだ」
「おまえはもうダメだ」
「おまえはもうダメだ」
止めようとしてもムダでした。
止めようとすればするほど執拗になり、声が大きくなって、なかなか止まってくれませんでした。
「おまえは何の価値もない」
「おまえなんか生きてたってしょうがない」
「おまえなんか死んだほうがましだ」
私を非難する声、容赦のない罵詈雑言を次から次へと浴びせかけられるのです。
ものすごく気味の悪い、つらい経験でした。
これは一体「誰の声」なのだろうかと、私は必死に考えました。
メンタルがきわめて不安定な時期でしたが、努めて冷静に考えようとしました。
その結果、幽霊やオカルトの類では絶対ないと、結論付けました。
では、何なのか?
やはり「自分の声」だろう、そう考えざるを得ませんでした。
けれども、なぜ自分の声が聞こえてくるのか、しかも自分を厳しく攻め立てるひどい言葉ばかりが聞こえてくるのか、当時、その理由までは思いつきませんでした。
それが腑に落ちたのは、10年以上経ってからのことです。
自分で自分を罰する習慣の果てに
みなさんも時々、自分自身に向けて言葉を発することはありませんか?
「もっとがんばろう」と励ましたり、「さすがに疲れたな」と嘆いてみたり、「どうすればいいんだろう」と自問自答したり。
それらを心の中でつぶやいたり、実際に口に出したりするようなことが誰しもあるのではないでしょうか。
私の幻聴は、そのような声の一種だったのだろうと思います。
思えば私は子どもの頃、自分を奮い立たせるために、自分自身に向けて頻繁に言葉を投げかけていました。
「テレビを見ないと決めたのに、おまえはもう破ったナ!」
「勉強はどうした? このサボり魔!」
「まあまあ頑張ったけど、結果がでなきゃ意味がないゾ!」
禁を破った時やすごく出来が悪かった時には、言葉だけでなく、自分に罰を与えました。
サンドバッグになった自分自身を思い描き、巨大なボクシンググローブも想像で作り上げて、これでもかこれでもかと自分をぶん殴るのです。
そのシーンを繰り返しイメージすることで自分の行いを正し、やる気を注入しようとしていました。
つまり、もともと私は自分に厳しすぎたのでしょう。
そういう傾向が、パニック障害でひどく不安定だった自分の精神状態をさらに追い込んでしまって、幻聴というわけのわからない現象を引き起こしたのだと今は解釈しています。
私に向けられた心ない言葉の数々は、要するに「自分の心の声」だったのです。
(さらに元をたどれば、「親の声」である可能性は高いと思います)
努力至上主義の陥穽
この経験をもって、私が読者のみなさんに伝えたいことはたった一つ、
「自分を労いましょう」ということです。
自分に厳しいのは望ましいことであり、厳しければ厳しいほど良い――
私はかつて、かなり長い間、そう信じていました。
そんな努力至上主義だった私の固い頭を、パニック障害や幻聴といった特異な体験が否応なしに変えてくれました。
二度と経験したくないつらい経験ではありましたが、この経験がなければ、現在のような健康や幸福感を手に入れることは決してなかったでしょう。
自分に厳しすぎることは、思わぬ代償を支払うことになりかねません。
みなさんも私のケースから、ぜひそのことを学んでください。