「パワハラ上司」と「厳しい上司」はどこが違う?

私は管理職として毎日、複数の部下のマネジメントをしています。
管理職は、時に厳しさが必要ですが、最近は「今のは言い過ぎじゃなかっただろうか……」「自分はパワハラをしていないだろうか……」と、自分のやり方に疑問をもつことが増えました。
ハラスメントが社会的に厳しく諫められるようになったのはとても良いことだと思いますが、私と同じような心境の管理職が増加しているのではないでしょうか?

そこで今回は、どうすれば「パワハラ上司」にならずに適切な指導や管理のできるマネジャーとなれるのか、私の経験などを通じてこの問題の核心に迫ってみたいと思います。

「最低だ」。上司の一言で心が折れた

まずは私のパワハラ被害からお話ししましょう。
それは約20年前、私が30代前半で初めて管理職=課長になった頃の話です。

20代の頃の私は「早く課長になりたい!」という野心を抱いていましたが、いざ課長になってみると、イメージしていたものと大きなギャップがありました。
自由奔放に働いていた平社員が突然部下を持つ身となり、強いプレッシャーや居心地の悪さに日々悩まされるようになったのです。

とはいえ、せっかく手にしたチャンスです。
課長の役割を何とか全うしようと、私は懸命に努力しました。
ある日、来期の営業計画を立てて部会で発表するようにと、直属の部長から私に指令が下りました。
内心やりたくないと思いつつも部下たちの手を借り、先輩課長たちからも助言をもらって、どうにか資料をまとめ上げました。
プレゼンをつつがなく終え、自分なりに「良くやった」と祝杯を上げたい気分でした。

ところが、部長はひと言、「お前のプレゼン、最低だったな」と言い放ちました。
私は、わけがわからなくなりました。
自分としてはベストだと思った仕事が、上司からは「最低」という評価を受けたのです。
何をどうすれば良かったのか、これからどうすれば良いのか、私は途方にくれました。

その後も管理職としてのプレッシャーや言いようのない違和感、将来の不安と闘いながら働き続けましたが、やがて心身のバランスが崩れ、ひとり悶え苦しんだ挙句、「本当にやりたいことはこれじゃなかった」という結論に至って、辞表を出すことにしました。
「最低だったな」と言われた半年後のことです。

さて、この上司は「パワハラ上司」だったのでしょうか? それとも「厳しい上司」だったのでしょうか?
あなたはわかりますか?
私は今もよくわかりません。
なので、この件をじっくり調べてみることにしました。

日本のパワハラの定義はわかりづらい

まずは手始めに厚生労働省の資料を漁りました。
見つけたのは、パワーハラスメントの目安としての「6つの行為類型」。それはこういったものです。

1.暴行・傷害(身体的な攻撃)
2.脅迫・名誉毀損・侮辱・ひどい暴言(精神的な攻撃)
3.隔離・仲間外し・無視(人間関係からの切り離し)
4.業務上明らかに不要なことや遂行不可能なことの強制、仕事の妨害(過大な要求)
5.業務上の合理性なく、能力や経験とかけ離れた程度の低い仕事を命じることや仕事を与えないこと(過小な要求)
6.私的なことに過度に立ち入ること(個の侵害)

この中から私のケースを選ぶとすれば、「2.脅迫・名誉毀損・侮辱・ひどい暴言(精神的な攻撃)」が最も近いと思われます。
けれども、いまひとつピンときません。
上司のひと言は、私にとって「侮辱」であり「暴言」だったと思いますが、「脅迫」や「名誉棄損」だったかというと、どこか違います。
だとすると、「2.脅迫・名誉毀損・侮辱・ひどい暴言(精神的な攻撃)」には当たらないのでしょうか?
あれは、パワハラではなかったのでしょうか?

ハラスメントの目的は「屈辱を与えること」

厚生労働省関係のその他の資料や日本の専門家たちの本を読んでも、ハラスメントの本質がわかる資料になかなか出くわさなかったのですが、ようやく1冊の本との幸運な出合いがありました。
フランスの著名な精神科医が書いた『モラル・ハラスメントが人も会社もダメにする』(紀伊國屋書店)という本です。
この本のハラスメントの定義は具体的です。
いくつか抜粋してみましょう。
(以下の「モラル・ハラスメント」という言葉は、日本におけるパワー・ハラスメントやセクシャル・ハラスメントと同義と考えられます)

「いくら暴力的な言葉を投げつけても、それ以前に言葉や態度で執拗な攻撃を繰り返していないかぎり、モラル・ハラスメントとは言えない。その反対に、相手を貶めるような態度や行動とともに繰り返し非難が行われれば、そのひとつひとつがどれほど小さなものでもモラル・ハラスメントである」

「モラル・ハラスメントとは、まず何より相手に屈辱を与えること。したがって、いくら厳しく叱責しても、それだけでモラル・ハラスメントだとはいえない」

「モラル・ハラスメントの目的は、多かれ少なかれ悪意を持って相手を傷つけることである。仕事の効率をよくしようとか、生産性を高めたいとか、そういった意図はまったくない」

これらは、私にとって大きなヒントとなりました。
これらを念頭に私のケースをもう一度振り返ってみると、まず、私の上司は暴言を「繰り返し」たわけではありませんでした。
日常的にいろいろと指摘を受けましたが、キツイひと言は一度だけであって、その前後に「言葉や態度で執拗な攻撃」をされた記憶はないです。
また、「厳しい叱責」ではあったものの、「相手に屈辱を与えること」が目的だったかというと、それは違うような気がします。
むしろ、私を叱責することで「仕事の効率」や「生産性」を高めたり、強引ではあったものの私の成長を強く促そうとしたのではないでしょうか。
(――と言っても、これは20年も経った今だから見える景色であって、当時の私はあのひと言によって真っ暗な絶望の淵に立たされたのですが……)

いずれにせよ、私にはわかりました。
私の上司は「パワハラ上司」ではなく、「厳しい上司」だったのです。
そう考えるのがもっとも妥当な判断であると、20年後の私は考えるに至りました。

以上のように自らの過去の経験を分析したことから、私は部下との接し方に大きなヒントを得ることができました。
純粋に仕事の成果や部下の成長を求めることが目的であって、部下を傷つけることが目的でないのであれば、時に「厳しい指導」も許容されるということです。
とはいえ、管理職側の目的が正しければそれでいいというわけではありません。
パワハラ問題においては、部下自身がどう感じているかが最も重要であり、それを度外視することは許されません。

パワハラは「権力追求」であり「利益追求」ではない

上の著者は、ハラスメントの本質を次のように看破しています。

「モラル・ハラスメントというのは、<利益の追求>よりは、<権力の追求>の過程で起こることが多い」

言い換えるなら、われわれ管理職は、<利益の追求>のため、つまり会社の成長のために人的資源を含めた経営資源のマネジメントに悪戦苦闘している分には大きな問題とはならないものの、ひとたび<権力の追求>を始めたら、それは間違いの元であることを自覚しなければならないということでしょう。

「パワハラ上司」の烙印を押されることなく、部下から尊敬を集める上司を目指すうえでは、以上のような視点を持つことが重要だと思います。

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